Sunday, June 14, 2020

20180809 今日の活動(広島・長崎)

睡眠のリズムは、依然崩れています・・・。適当な時間に寝ています・・・。神聖キチガイ鬼畜ごみ殺戮大日本帝国軍の、ねちねち、ドンドン騒音攻撃は、依然続いています・・・。さっきも、深夜1時や2時まで、マンションの上の牧野さんが、上で暴れていました・・・。ホント、頭おかしい・・・。どこまでキチガイなん・・・。ホント、ジャップはごみだな・・・。そして、今日も、朝6時から、キチガイ鬼畜ごみ殺戮牧野やマンションの外から、ねちねち、ドンドン騒音攻撃の嵐で、うるさいです・・・。ドンドン騒音攻撃で、煽って、相変わらずあほなこともブログに書かせようとしてきたり・・・。

日本の夏恒例の原爆投下の日がやってきました・・・。死者、長崎7万人、広島14万人、現在被爆者健康手帳保持者16万人・・・。東北大震災の大津波の何倍もの人が、一瞬で死に、現在も、被爆症で苦しんでいます・・・。ここ最近、人が死ぬと言うことが少し分かってきました・・・。僕自身も病気で体の自由が利かず、寝たきりの生活を送ったり、腸閉塞や背中の筋肉断裂で痛い思いをいくつもしてきたので、生きると言うことが少し実感できてきました・・・。生きると言うことは、脳腫瘍の時の母を見てても思いますが、汚くて、醜いこと・・・。生き物はきっとそうなんでしょうね・・・。子供の頃は、死者の数なんかを見ても、数字にしか見えてませんでしたが、最近は、それだけの人の命を奪ったんだなぁって実感があります・・・。だれも死にたくないですもんね・・・。まぁ、ジャップの皆様は、侍の国なので、きっといじめや死なんて当然のものでなにも感じないんでしょうけど・・・(僕は、stap細胞事件の時も、笹井教授が自殺し、副島さんが『無責任や』と責める中、可哀相にって言ってましたけどね・・・。横山さんにも香典しましたし・・・)。
アメリカ・ソ連は、その後、戦争を何度か起こしていますが、核兵器は使っていません・・・。使えなかったのかも知れないですし、もしかしたら大人だったのかも知れませんね・・・(ホント日本とはえらい違い・・・)。
ちなみに僕は、核兵器廃絶には反対派です・・・。アンデス文明など、平和が訪れると、人類はいつも暴力により、蹂躙するのを繰り返してきました・・・。対攻撃武器を捨てるのは反対です・・・。











死ぬのはこんなに大変
2018.08.08 沖縄県の翁長雄志知事 膵臓癌
病気前

病気後

2016.01.10ジャーナリスト竹田圭吾51歳膵臓がん
病気前

病気後



ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」
https://www.news-postseven.com/archives/20140311_245075.html
常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。
だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。
逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。
それにしても、今回の地震はショックだったね。こんな不安感の中で、普段通り生きるってのは大変なことだよ。原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。
それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。もう、それしかない。
人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。
オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。
今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがよくあるんだ。
そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。それはこんな時でも変わらないよ。やりたいことは何だって? バカヤロー、決まってるだろ。最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。



「気休めを言わないで下さい。ぼくは、歌えなくなったら死んだも同然なんですよ!」と反発していたのが、自分の弱さを素直に認められるようになった。すると、注目されることがかえって励みになり、麻痺が残っていることやリハビリがうまくできないことを恥ずかしく思わなくなった。「病は気から」を実感したわけですね。
普通に接しなければならない家族や周囲のほうが、気を遣って大変なんだということも知りました。家で薬を飲もうとして落としたとき、子どもは反射的に拾ってくれようとします。それを制して自分で拾うのも、リハビリのうちなんです。子どもは3人に増えましたが、まだ中学生と小学生です。成人する姿までは、見届けなければね。
病気をして、価値観が変わりました。以前は気にしなかった季節の移り変わりを感じたり、景色の美しさに感動したり、家の中に迷い込んできた虫は外へ逃がす。殺せなくなってしまったんです(笑)。
最初に脳梗塞で倒れるまでが1度目。また倒れるまでが2度目。そしていまは、3度目の人生だと思っています。価値観を変え、大切なものに気づかせてくれたという意味で、ぼくは病気に感謝してるんです。病気にならずに気がつけば、もっとよかったんですけどね(笑)。



「死はもう怖くない」津川雅彦が車椅子、鼻チューブ姿で語った覚悟〈週刊朝日〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180808-00000015-sasahi-ent
俳優・津川雅彦を育てた3人のうち2人はすでに亡くなり、兄も他界。60歳を過ぎたころから、死は遠いものではなくなったという。最後に死生観について問われるとこう語った。
「死は自分の意思ではどうにもならない。今はもう、死は怖くはありません」
俳優としての人生に未練はない、という感じの語り口だった。
写真撮影のときは、俳優らしく、鼻からチューブを外してポーズを決め、目には輝きを取り戻した。だが、”らしさ”が最も表れたのは、去り際だった。送迎の車に乗りこむと、わざわざ車の窓を開けて
「今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」
と深々と頭を下げた。誰に対しても偉ぶらない姿勢こそ、大スターの証だった。


継続する終活
https://ameblo.jp/hrcoolinfant0719/entry-12384755394.html
さて、今まで終活として旅行や私の料理レシピをの残している話をブログでしたと思います
それと、きっと過去のブログのどこかに書いてると思いますが、主治医の勧めで息子の誕生日、結婚式、子どもが生まれたときに渡す手紙を遺すという終活。

前から少しずつパソコンに書いています
手書きでない理由は…
私もまだ生きていて感じる事も変化するし、息子が日々成長する過程で伝えたい事が追加になったり変わったりするから
手書きはギリギリにしたいと思っています。

子ども(孫)が生まれたとき、結婚式、20歳から13歳までは書いたですが12歳からパソコンを打つ手が止まってしまっています

なぜなら、12歳って5年後。

イブランスを飲んでいて腹水が溜まっていた時なら躊躇なく書き進めていたと思います。
死期を自分でも分かっていたから…
今は抗がん剤で腹水が減り死に直面していない。

だから…

もしかしたら5年後は生きてない可能性はあるの?
いや、大丈夫(生きてる)やんね?
5年後の手紙は書かないとダメ??
5年後の誕生日、一緒にお祝いしてるよね?
心の言葉で自問自答。
てか生きたい。

抗がん剤が効いているからって図にのって
〝生きたい〟欲が増しています(笑)
当たり前な欲ですけどね。
私ってこんなに貪欲なんや。

パソコンに向かって自分の貪欲さを知りました。

(関連ブログ)
20180408 今日の活動(闘病日記)
https://ameblo.jp/zizi-03/entry-12366737415.html


医師から患者になり、初めて知ったこと=手術受け分かった不安、立場の違い
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180808-00010000-jij-life
私が人生で初めて全身麻酔手術を受けたのは、医師になって数年たってからのことでした。この時、手術前後で1カ月近くの入院を経験しました。私は初めて入院患者となり、それまで全く気づけなかった驚くべき事実を知ることになります。
今回は、医師から患者になったことで、私がどんなことを学び、どんなふうに成長できたのかを書いてみたいと思います。

全身麻酔手術は怖い
外科医は、毎日のように患者さんに全身麻酔手術を受けていただく仕事です。
いつも手術前の患者さんからは、「ちゃんと麻酔が効くでしょうか?」「途中で麻酔が覚めたりしないでしょうか?」「手術が終わっても麻酔が覚めない、なんてことはないでしょうか?」と質問攻めです。
全身麻酔は薬で突然意識を失わせる行為なので、怖いのは当たり前です。しかし実体験のなかった私はそれまで、患者さんにニコニコして「大丈夫ですよ!」と言っていました。今日の全身麻酔の技術は非常に安全ですから、ことさらに心配する必要はありません。これは私が毎日のように肌で感じていたことです。
ところが、自分が全身麻酔手術を受ける段になった時、言いようもない恐怖を覚えました。「麻酔薬が注射される時はどんなふうに意識がなくなるのだろう」「目が覚めた時、口の中に気管チューブが入っているのは苦しくないだろうか」「麻酔薬の副作用で出る吐き気はつらくないだろうか」実にさまざまな不安が去来しました。
自分が手術を受ける段になって初めて、全身麻酔への恐怖を味わうことになったのです。それ以後は、患者さんの不安をじっくり聞いて共感し、それまで以上に丁寧に繰り返し説明するようになりました。

手術後はとにかくつらい
私たちは普段患者さんに、手術後はしっかりリハビリをするよう指導します。病状によっては安静にすべきケースもありますが、全身状態が許せば、術後は積極的に動いていただきます。こうした術後のリハビリが、回復を早めるためには非常に重要だからです。
私は、術後ベッド上でじっと寝ている患者さんには、「もっと歩いてください」と少しスパルタな指導をしていたこともありました。ところが自分が手術を受けると、印象が大きく変わりました。
とにかく術後は全身がだるくて重く、起き上がるのも一苦労です。スムーズに歩くなどとても無理で、フラフラになりながらリハビリをしました。手術翌日からスタスタと病棟を歩いている高齢の患者さんがたくさんいたことを思い出し、改めて感心しました。
手術後はとにかくつらいことを十分認識し、その上で適切な言葉をかける必要があると分かりました。

医師は、何百、何千という患者さんを相手にする中で、患者さんへの診療が当たり前の行為になっています。しかし医師として、患者さんの立場で物事を考えることがいかに大切かを、入院することで身にしみて学ぶことができました。
これを読む医療者の方々にもぜひ、こういう患者さんの立場を分かっていただけるとうれしく思います。


【芸能】マツコ&有吉「悪口を言わない人は信用できない」に賛同 ★3
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1533758095/
大悪魔帝国様では、僕は『毒舌だ』って言って叩かれてましたけど・・・。部下の北澤くんも『みんな毒舌だって言って、○○さん(僕)のこと叩いてますけど・・・』って、瞳ちゃん騒動の当初の、mixiの『レベルの低い会社』鍵付コメントとか瞳ちゃん携帯メールの『悪い人たちに囲まれて』炎上の前からそう言ってたし・・・。

「若いころと同じ食事」いつ止めた?
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1533762771/
大学入ってから、生協で食べること多くて、なるべく野菜を取るように心掛けている・・・。大学2回生か3回生くらいからは・・・。

元気がないとき、どんな曲聴いてる?
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1533808206/
気分によって違う・・・。最近は、アニソンが多い・・・。

こいつクズみたいな人間しかいなかったわって苗字
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1533825364/
特にいない・・・。重複することが珍しい・・・。

【不登校】「学校きてね」「待ってるよ」不登校の子どもが葛藤する、クラスメイトからの「お手紙」問題
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1533796176/
僕の中学時代には、不登校の子が何人か居ました・・・。僕の中学のクラスにも不登校の子が居て、1人は吉田くんだったかな?みんなでお家まで行って・・・。女子は熱く、学校おいでと誘っていましたが、僕は、本人がイヤなら無理に誘わなくてもいいじゃない?家業継いだらって言ってました・・・。もう1人、大ちゃん・・・。いつも給食のパンと連絡プリントを家まで届けていました・・・。そしてたまに学校来た時は、一緒に喋って帰ったりしてました・・・。


銀の異物問題の時も、井戸課長に、分析手段としてTOF-SIMSはどうでしょうかと提案したり、他の課から提案のあった製品をうちの課へ導入する際、僕の上司はやらないって言い張ってたけど、結局、導入認めさせたり・・・。自分の意見は、でしゃばらない程度に言ってます・・・。


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